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広瀬御嶽
【ひろせうたき】


平良(ひらら)市西原の福山集落北方,白川浜西方海岸にある御嶽。方言ではビッシ御嶽という。「御嶽由来記」によれば,「女神真志らへ」が美しい女神として広瀬の山に現われたので,ここに御嶽をつくったという(平良市史3)。与那覇勢頭豊見親は,宮古地方に統一と平和をもたらすには大国に従うほかないと考え,大国の所在を知るべく広瀬御嶽に祈ったという。白川浜に祭壇を設け,香花・供物を供え,2,3丈の竹に五色の糸をかけて祈った。明け方になって五色の糸は,皆東北になびき,その方角に島影が見えた。与那覇は船を造り,北を指して船出し,沖縄本島に着いた。中山は察度王代(1350~95)で,察度王は泊に宿所を与えたが,3年間は言語が通じなかった。与那覇は朝貢,服属の実をあげ,宮古の首長に任じられたといわれる。広瀬御嶽はこれにより船の守神として尊崇を受け,現在も多くの人が参詣している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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