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美崎御嶽
【みさきおん】


石垣市登野城(とのしろ)にある御嶽。方言ではミシャギオンという。神名は大美崎トウハ,イビ名は浦掛ノ神ガナシ(由来記)。創建由来は「八重山嶋由来記」(南島1),「女官御双紙」および「球陽」(尚真王24年条)などに詳しい。これらによれば,弘治13年(1500)のオヤケ・アカハチの乱後,首里王府軍の帰還に際し,「ゑらびかね」という神が,乱に功績があった真乙姥に託宣し,軍船の無事を約した。真乙姥は美崎山にこもり断食して,王府軍の無事帰還を昼夜祈願した。それを助けたのが平得(ひらえ)村の多田屋オナリで,46艘の兵船は無事那覇(なは)へ到着した。両人は首里への上国を命ぜられ,真乙姥は初代永良比金職に,オナリは初代八重山大阿母職に任命された。美崎山に御嶽を創始し,大阿母が祭祀した。大阿母は首里の儀保大あむしられに属し,八重山諸島全体のツカサを管掌した。美崎御嶽では航海安全・豊穣祈願などがなされ,公の祈願をした石垣島の七御嶽の筆頭に位置づけられた。乾隆36年(1771)の明和の大津波で拝殿も流失し,同38年の村敷替で文嶺へ遷し,石垣村の管理とした。のち旧地に復し,再び大川村の管理となる(大波之時各村之形行書)。御嶽は西面し,鳥居を入って左手中庭に祭祀用の掘抜き井戸がある。境内の子の方角に旧蔵元内にあった火の神を祀り,その東側に美崎御嶽の火の神を祀る。アシャギの背後に2つのアーチ(石造門)があり,規模は小さいが首里の園比屋武(そのひやん)御嶽の石門と同形式である。門内がイビ域で,その寅の方角に半円に石を積み巡らして4つの香炉を安置するイビがある。御嶽は市街地内にあるが,境内にはハスノハギリ・テリハボク・クバディシ・カワビワなどの大木が生い茂る。建造物は県文化財で,全域が県史跡に指定されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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