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八重山
【やえやま】


旧国名:琉球

方言ではヤイマという。琉球諸島の南西端に位置する八重山諸島を指す。洪武23年(1390)宮古島とともに中山(ちゆうざん)王に入貢した(中山世鑑)。成化13年(1477)には朝鮮の済州島民が海上で遭難し与那国島人に救われ,与那国島から西表(いりおもて)・波照間(はてるま)・新城(あらぐすく)・黒島の各島を順送され,さらに宮古諸島・沖縄本島を経て帰還した。その時の報告が「李朝実録」成宗10年条にあり,当時の八重山の様相がわかる。弘治13年(1500)のオヤケ・アカハチの乱後,首里王府への政治的従属が進んだ。その事件を謡ったオモロが「おもろさうし」にある。オモロに見える「やへましま」「やゑましま」は八重山島のことで,対語は「はたらしま」である。古謡「いんしがーぬ金盛ゆんた」は宮古軍が与那国島へ遠征した時の叙事詩で,宮古島は「ゆすはら(四十原)」,八重山島は「はたはら(二十原)」と謡われる(ユンタ216/歌謡大成Ⅳ)。「はたはら」は20か村の意で,八重山の村数にちなむと思われるが,厳密な村数ではない。八重山は石垣島の別称としても使われる。与那国島では石垣島へ行くことを「ダマンキ ヒルン(八重山へ行く)」といい,古謡「しょんかね」に与那国島と八重山(石垣島)の間に縁の糸をはって,面影が立ったら互いに引こうと謡っているのはその例である(スンカニ2/同前)。
八重山島(近世)】 王府時代~明治29年の広域地名。
八重山郡(近代)】 明治29年~現在の郡名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241902