与那国
【よなぐに】

旧国名:琉球
方言ではユノーンといい,地元ではドゥナンともいう。日本最西端に位置する与那国島全域を占める。「おもろさうし」には「いなくに」「いにやくに」,「指南広義」「琉球国志略」に由那姑呢と見える。八重山考古編年第Ⅰ期のトゥグル浜遺跡,13~14世紀の与那原遺跡がある。成化13年(1477)朝鮮の済州島民が与那国島に漂着,その記録には允伊・閏伊是麽と見え,島人は100人余,人家は島の周囲にあって,島を巡るのに2日かかるとあるほか,島の風俗が詳細に記されている(李朝実録成宗10年条)。15世紀末の首長サンアイ・イソバや,16世紀の首長鬼虎の伝説が伝わる。弘治13年(1500)八重山のオヤケ・アカハチの乱以後,宮古島の金盛が与那国島を討った時の様子を謡った古謡に「いんしがーぬ金盛ゆんた」があり,与那国島は孤島であることから「一本島」と謡われる(ユンタ216/歌謡大成Ⅳ)。
【与那国島(近世)】 王府時代の広域地名。
【与那国村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【与那国村(近代)】 大正3年~昭和22年の八重山郡の自治体名。
【与那国町(近代)】 昭和22年~現在の八重山郡の自治体名。
【与那国(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7242025 |





