鰺ケ沢町(近代)

明治22年~現在の西津軽郡の自治体名。田中町・七ツ石町・米町・本町・新町・釣町・浜町・新地町・漁師町・富根町・淀町の11か町を編成。本町に町役場を置く。同24年の戸数844・人口5,274,厩9,学校2,船284(徴発物件一覧)。同11年には公立鰺ケ沢病院が開設されており,町村制施行期の各官庁の当町への設置(郡役所・町役場・鰺ケ沢警察署・鰺ケ沢小林区暑・鰺ケ沢区裁判所・直税分暑間税分暑)により,西津軽郡の中心地としての役割が確固としていくのである。これに伴い交通路も整備され,明治10年代から改修が手がけられた弘前-鰺ケ沢-大間越を結ぶ能代道は,同25年に最終的な完成をみている。また,明治22年,弘前・木造・五所川原へ当町からの定期馬車便も設けられた(西津軽郡史)。一方,海上交通では江戸期の主要移出入港としての機能は蒸汽船の発達とともに薄れ,同29年7月から12月までの当町と青森の出入船舶を比べると蒸汽船では青森出318・入318に鰺ケ沢出5・入5,西洋型帆船青森出12・入13に鰺ケ沢出3・入2,日本型船青森出82・入89に鰺ケ沢出67・入80と和船による小規模海運に限定されたことが知られ(東奥日報),港としての機能は沿岸漁業港へと変わりつつあった。産業は漁業であるが,ニシンは明治24年に水揚げが町歳入の10倍の8万円を記録したほかは,翌25年の大漁を境に不振となり,ハタハタ・イワシが数年ごとに漁獲されるにすぎず明治期は大概,振るわなかった(鰺ケ沢町史)。同32年からは,旧来の港の老朽化にあわせ,護岸工事が工費8万5,000円で,5年計画で開始されたが,大正2年まで及んだ。明治末から大正期は海上交通では機帆船が主流となり,漁船もまたこの形になったこと,陸上交通では,鉄道が陸奥鉄道により大正14年に五所川原との間に結ばれ,昭和2年に国鉄移管ののち,同11年に秋田県能代まで開通,国鉄五能線として完成している。電気はこれより先,大正5年鰺ケ沢電気芦萢発電所から送られた(西津軽郡史)。大正9年の戸数814・人口3,920,うち職業別人口内訳は,農業84,水産業1,405,鉱業1,工業569,商業995,交通業230,公務・自由業379,その他170,無職91。同15年の鰺ケ沢町は宅地4万9,089坪,畑2町1反余,人口4,785(男2,360・女2,425),世帯数820,そのうち商業213・漁業194・工業63・その他350となり,雑貨を中心とする商業と漁業が中心である。水産業では真イワシ100万貫・15万円,イカ150万貫・2万2,500円,サメ6万貫・3万2,000円,鱈2万貫・7,000円などで,計260万3,000貫・22万6,500円を水揚げしている(大正15年西津軽郡鰺ケ沢町一覧表)。港湾規模は大正4年には,艀・漁船類133艘,商船の年間出入港は,汽船は定期8・不定期8,帆船(和船)は37艘となっている。漁船の規模は5tあるいは50石未満91艘,5t以上あるいは50石以上は16艘となっており,水産加工業は未発達である。農業は畑作が余業としてあるが,ジャガイモ5万貫・蕪1万4,000貫などが目立つ程度である。養蚕は春蚕が16戸・1万1,040合,夏秋蚕9戸・1万1,937合,養鶏15戸となっている(西津軽郡統計書)。なお大正5年には鰺ケ沢繭市場が開かれた。大正期には当町の経済的地位は高まり,同5年には五十九銀行支店,同10年鰺ケ沢商工会設立,同12年鳴海銀行設立がみられた(鰺ケ沢町史年表)。そのほか,大正7年に漁港修築期成同盟発足,翌年鰺ケ沢港修築,鉄道期成同盟会の発会をみている(県近代史年表)。これは同10年にはじめて当町で発動機船が完成し(鰺ケ沢町史年表),同11年に西海岸水産会が設立されるなど,産業・経済の発展から必要とされたことであった。港修築は昭和7年から総工費80万円をかけ,同15年に竣工したが,同16年から再び着工,第2次大戦で中断した後,同27年に完工をみている(西津軽郡史)。昭和14年の人口5,288(男2,714・女2,574),戸数886(水産業350,商業188,公務・自由業129,工業87,交通業15,農業4,その他113),畑10反のみで,大根・ジャガイモが主で,養蚕2戸,養鶏7戸に減少している。水産業は125隻の漁船のうち,動力をもたないもの85隻,発動機船40隻,魚類83万3,700円をはじめ漁獲高84万5,000円となっている。昭和20年,米軍の空襲を受け,死者8・負傷17・行方不明14・汽船1隻沈没などの被害を出した。同23年県立水産試験場が当町に移転した。同25年の世帯数1,324・人口6,472。同30年,赤石村・中村・舞戸村・鳴沢村を合併,合併各村の大字は当町の町名となり,合計32町を編成。同年鰺ケ沢町庁舎増改築を行い,また,大和田海岸災害復旧工事が完成した。同32年6月海上保安庁長官一行が来町し,10月には海上保安部分室を開設,巡視線を配置。同33年集中豪雨で鰺ケ沢一帯に水害があり,2億数千万円の損害を被った。同34年中村橋・長間橋が竣工。同38年西地方農林事務所設置。同39年西北福祉事務分室設置,鰺ケ沢町観光協会設立,同町総合開発審議会設置。同41年鰺ケ沢~長平間定期バス開通。同41年山村振興対策事業の指定を受ける。赤石地区・長平地区に和牛導入。同43年舞戸農協と鳴沢農協合併。同年当町の税務署が五所川原税務署に統合。同45年防災無線,町農林産物加工場完成。同46年肉豚繁殖肥育センター完成。同年11月にはワカメ養殖事業に着手し,翌47年にはホタテ養殖事業にも着手した。同年赤石地区中心に豪雨災害があり被害はおよそ25億円と推測された。同48年鰺ケ沢町土地開発公社設立。同49年町商工会館完成,赤石バイパスが着工された。同50年川尻海岸が津軽国定公園に指定。大然養殖センター完成。同年7月集中豪雨災害があり,被害額は3億5,000万円。同51年津軽藩始祖大浦信濃守光信公450年祭実施。同52年山村開発センター竣工,同年あすなろ国体ライフル射撃競技開催。同53年国道101号バイパス工事開始,赤石バイパス完成。塵芥処理場完成。同54年町制施行90周年記念式典挙行。赤石地区漁港着工。同55年冷害対策本部設置。県営赤石川サケ・マス孵化場完成。同56年豪雪対策本部設置。8月に台風15号の直撃があり,被害額はおよそ10億円にも上った。しかも前年に引き続き,冷害の年となった。同57年防災行政無線放送,赤石川溯上サケの採捕による孵化をそれぞれ開始。赤石川土地改良事業完了。5月日本海中部地震が発生し,マグニチュード7.7を記録,津波で3人死亡,被害は83億円と推測される。同59年豪雪災害対策本部設置。鰺ケ沢駅開業60周年の記念式典が実施された。なお,合併以後の世帯数・人口は,昭和40年4,447・2万3,674,同45年4,564・2万1,094,同50年4,581・1万9,436,同59年4,764・1万7,854。昭和14年中津軽郡岩木村の一部を当町に編入,同51年中津軽郡岩木町との間で境界変更実施,同57年一部を弘前市に編入。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7250062 |





