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大間町(近代)


 昭和17年~現在の下北郡の自治体名。大奥村が改称し,町制施行して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場は大奥村役場を引き継ぎ,字寺道に設置。現在は字大間に所在。世帯数・人口は,昭和25年1,192・7,217,同30年1,274・7,835,同35年1,407・7,982,同40年1,501・7,783,同45年1,650・7,673,同50年1,780・7,753。出稼者は多数にのぼり,離町傾向もみられるが過疎化までには至っていない。昭和24年大間漁協・奥戸漁協認可,翌25年大間港が地方港湾の指定を受けたのを皮切りに,翌26年奥戸港,同27年材木港が第1種漁港に指定され,また同48年下手浜漁港が開港されるなど,漁業を基盤産業とした町づくりが推進されている。同28年には沿岸漁業から沖合漁業への転換促進のためイカ釣船4隻導入。同32年大間漁協を青森県水産製品検査場に指定,同40年大間漁協共同荷捌所施設建設竣工,同50年大間漁協活魚蓄養施設竣工。大間牧は明治3年廃止後,民間移管が企図され白砂牧場の開設をみたが失敗。昭和40年大間牧場を開放し,同44年カナダ産ヘレフォード牝牛80頭を導入して肉用牛繁殖育成センター事業が開始され,畜産事業にも力を入れてきている。昭和43年大間崎および弁天島周辺が下北半島国定公園に指定されて以来,観光開発もさかんになってきている。交通機関の整備もその一翼を担っており,昭和30年代以降急速に進んだ。同39年函館,同46年戸井・室蘭に大間港からフェリーボートが就航し,本州と北海道を結ぶ玄関口となる。昭和42年県道野辺地むつ大間線(通称はまなすライン)開通,同44年全面舗装,同45年国道279号に昇格,同56年大間バイパス全線開通。同57年県道大間脇野沢川内線(通称海峡ライン)が国道388号に昇格。同49年以降むつ市を起点として佐井村字磯谷まで下北バスが運行している。昭和29年蒼前石ダム完成。同35年町立大間病院完成。同51年大間生コンクリート操業開始。同年より大間原発問題が生じ,環境調査が始まるとともに,同年53年大間町総合計画審議会発足。白砂地区がATR実証炉建設予定地となる。同年57年町づくりの中核施設の総合開発センター開業。昭和18年,同41年,佐井村長福寺より,福蔵寺,長弘寺がそれぞれ独立,一寺となる。同年57年調査の土地利用状況は,総面積52.11km[sup]2[/sup],うち田・畑13.6%,宅地1.3%,国有林など68.1%,山林・原野16.5%,その他0.5%。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7250408