大利村(近世)

江戸期~明治22年の村名。北郡のうち。盛岡藩領。田名部通に属す。村高は,「邦内郷村志」79石余(うち畑9石余),「天保8年御蔵給所書上帳」79石余(御蔵高67石余・給所高12石),「旧高旧領」も79石余。なお,「正保郷村帳」「貞享高辻帳」「天保郷帳」「安政高辻帳」には当村の名が見えず,「仮名付帳」には砂子又村の枝村として記される。「邦内郷村志」では,家数44,人数223,馬100,牛85。「本枝村付並位付」によれば,位付は下の中,家数26。地内井尻に正徳元年8月勧請の白山神社がある。中野家と井戸向家は旧家で,オシラ神を祀っている。また中野家は大利染といわれる絞染の家元で,代々染屋藤太と呼ばれ肝入も勤めた(下北地方誌)。また同家は蒼前田を持ち,村一番の古田を持っていた。明治元年弘前藩取締,以後黒羽藩取締,九戸県,八戸県,三戸県,斗南【となみ】藩,斗南県,弘前県を経て,同4年青森県に所属。明治初年の戸数32,村況は「土地卑湿多く瘠薄にして且水田少し,農業の他余産なく,壮男は北海道に渡て傭作す」とある(国誌)。同11年下北郡に属す。同12年の「共武政表」によれば,戸数32・人口228(男111・女117),牛8,馬117,学校1,物産は稗・粟・大豆・蕎麦・昆布・馬鈴薯・杉材・松材。同22年東通村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7250430 |





