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川内(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ川内村,大正6年からは川内町の大字。川内は旧内檜川ともいった。明治24年の戸数454・人口3,308,厩43,学校3,船122(徴発物件一覧)。同年の「下北郡統計」には,「鱈に次ぎホタテは川内より宿野部に至る沖合に産し」とあり,産額が最も大であった。昭和の初期より青森・大湊を結ぶ定期航路が昭和30年代まであった。昭和18年国鉄大湊自動車区が設置され,田名部~脇野沢間に省営バスが開通した。近年,川内川の改修工事に着手し,農業の振興策に努めている。一方沿岸漁業が活発となり,ホタテの産地として知られるようになった。北部山地に湯野川温泉があり,下北半島国定公園指定区域の一部に含まれ,観光客も年々ふえつつある。第一川内小学校(明治6年発足)に同30年畑分校設置。大正4年銀杏木分教場昇格独立。銀杏木尋常小学校となり,畑分教場は同小学校の分教場となる。昭和22年川内小学校に川内中学校併設,同26年戸沢分校(明治27年発足)・小倉平分校(明治10年発足)昇格独立,それぞれ小学校となる。昭和26年戸沢小学校に川内中学校戸沢分校が併設,同28年昇格し,戸沢中学校となる。銀杏木小学校・小倉平小学校に,昭和23年川内中学校の分校が併設,同26年には昇格しそれぞれ中学校となる。同40年両小学校が統合,第二川内小学校として発足。昭和23年畑分教場に川内中学校畑分校が併設,同年野平に分教室開設,同26年畑分校・野平分校は銀杏木中学校の分校となったが,同年昇格独立,畑小学校・畑中学校となる。同年湯の川分校設置。同33年野平分教室が野平小学校に,同45年湯野川分校が湯野川小学校にそれぞれ昇格独立した。世帯数・人口は,昭和40年は1,533・6,949うち,地内の新町197・919,谷地町70・281,中町70・296,浦町60・289,上町116・445,浜町94・399,中崎町384・1,638,葛沢53・245,戸沢62・320,田野沢46・242,下小倉平29・173,上小倉平68・369,銀杏木88・467,安部城28・114,畑74・331,湯野川36・177,野平40・170,石倉18・74,同55年は1,652・5,976うち新田323・1,112,谷地町88・312,中町65・235,浦町54,211,上町118・368,浜町84・276,中崎町432・1,547,葛沢49・188,戸沢53・241,田野沢51・195,下小倉平27・88,上小倉平58・226,銀杏木84・345,安部城22・78,畑68・240,湯野川41・141,野平21・69,石倉14・47。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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