取上村(近世)

江戸期~明治22年の村名。津軽郡平賀庄のうち。弘前藩領。元和年中御家臣姓名大概の83騎のなかに「百五拾石 取上村助五郎」と村名が見える。村高は,「正保高帳」413石余(うち田方380石余),「寛文高辻帳」413石余,「貞享4年検地水帳」996石余(田364石余・畑屋敷632石余),「寛保高辻帳」413石余,「天保郷帳」471石余,「旧高旧領」1,051石余。集落は,弘前城下から碇ケ関【いかりがせき】村を経て秋田領へ抜ける大道筋の羽州街道沿いに発達する。「慶安2年道筋帳」によれば,小道の1つとして「取上村大道より境関村迄三十壱町」とあり,同じく取上村大道より大和沢村迄の小屋には「取上村大道より清水森村迄八町五拾間」と見える。当村には弘前藩の刑場が置かれていたが,「国日記」によれば寛文4年には八幡館村の彦四郎が親不孝の科により取上で火罪で処せられたとあり,当時すでに刑場が設置されていたものと思われる。「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「安原・東田・広野」があり,反別は田42町3反余・畑屋敷170町8反余(うち屋敷8反余)の計213町2反余,このうち田は上田から下々田まで,畑は上畑から下々畑まで設定されていた。ほかに永荒地2町8反余があり,漆木はわずか6本。元禄3年には堀越組に属し,村位は下(平山日記)。村内の寺社としては,「貞享4年検地水帳」によれば,村中抱えの座王堂地と稲荷社地があった。このうち座王堂は現在取上3丁目にある貴船神社を指すものと思われ,貴船神社の祭神は闇龗神で寛文4年の勧請とされる。なお,「国誌」によれば,貴船神社は明治初年には当村の南,三岳堂溜池の近くにあった。また,現在三岳町にある三岳神社は,当初貴船神社が建立されていた旧三岳堂溜池付近にあり,祭神は倉稲魂命,草創は不詳だが,「貞享4年検地水帳」の稲荷社の系統を引くものと思われる。明治4年弘前県を経て,青森県に所属。同11年中津軽郡に属す。明治初年の「国誌」によれば,戸数33,村況は「土地中之中,田少く畑多し」と見える。同12年の「共武政表」によれば,戸数45・人口267(男135・女132),馬19,人力車1,物産は米・大豆・粟・蕎麦・菜種・荏。同22年堀越村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7251750 |





