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女鹿沢(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ女鹿沢村,昭和29年からは浪岡町の大字。明治24年の戸数186・人口1,355,厩44,学校1(徴発物件一覧)。大正3年の戸数247・人口1,195。同9年の世帯数246・人口1,711。昭和10年の人口1,819(女鹿沢848・赤茶337・松枝398・沖萢236)。同11年の世帯数287(女鹿沢・赤茶185,松枝69,沖萢33)。明治20年代より女鹿沢村が藁工品生産で青森県第一であったのは当地の倉田源助の先覚運動による。北海道を主市場とし,国鉄浪岡駅より出荷。のち生産地は南津軽郡から北津軽郡へと拡張した。大正12年女鹿沢尋常高等小学校は字東富田に新築移転。昭和22年女鹿沢中学校は女鹿沢小学校に併設されて開校し,同28年には字野尻に新築移転した。同37年女鹿沢小学校は成業小学校(明治17年,下十川小学と増館小学とが合併し,増流小学として発足,その後,同20年成業簡易小学校と改称)と統合し,同39年下十川へ新築移転した。昭和27年字平野に国立岩木療養所が開かれ,同所に開設された特殊学級は同54年県立浪岡養護学校となった。また女鹿沢中学校は,昭和52年3月,他の5中学校とともに統合され廃校となった。昭和35年の世帯数527(女鹿沢197・赤茶73・花岡100・松枝109・沖萢48)。以後の世帯数・人口は,同45年618・2,845(女鹿沢241・1,030,赤茶74・349,花岡98・507,松枝150・685,沖萢55・274),同55年812・3,300(女鹿沢320・1,180,赤茶72・320,花岡223・970,松枝149・615,沖萢48・215)。とくに花岡地区の新興住宅化が目立っている。同55年の総農家数278(専業農家37)・農家人口1,338(農業就業人口482),経営耕地295ha余。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7252540