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本町(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ大光寺村,昭和18年大光寺町,同30年からは平賀町の大字。明治24年の戸数82・人口520,厩8,水車1(徴発物件一覧)。明治22年に村役場が字北柳田に置かれたが,同25年に大光寺字一滝本に移転。明治20年に字北柳田に黒石警察署本町巡査駐在所が開設され,大正11年には大光寺とともに電灯がつく。昭和2年9月に弘南鉄道が弘前~尾上間に開通し,字北柳田の中央に弘南鉄道本社と平賀駅が設けられた。弘南バス(弘南鉄道自動車部),町居バス(平川バス)も平賀駅を中心に運行され,以後,地域交通運輸の要衝として,駅前地区は倉庫・リンゴ冷蔵庫・商店が立ち並ぶなど発展した。隣り合う県道大鰐浪岡線沿いの字南柳田・村元・平野も急速に商業地化・市街地化した。昭和初年に字北柳田(平賀駅裏)にある「塔の前」から,約800枚の古銭が出土し,同28年にはおよそ10kgの中国銭も発掘された。埋蔵者は不明。ここは近年までリンゴ園だったが,いまは一部を残して宅地化した。同年月庭庵は寺格を得て,月庭山玉林寺となった。昭和16年に大光寺郵便局が字北柳田に開局(現本町郵便局)。同23年には大光寺町警察署が字平野に設置された(同26年に廃止)。同31年5月11日夜,平賀駅裏の農家から出火し,駅前地区に飛火して,住家77棟78世帯・非住家43棟,あわせて120棟を全焼した。大正4年の戸数113・人口753,世帯数・人口は昭和27年252・1,462,同30年266・1,506,同40年398・1,819,同50年510・1,944。昭和40年に平川土地改良区の平川右岸地区特別圃場整備事業地域,同41年に第2平川右岸地区県営圃場整備事業地域,同44年に六羽川地区県営圃場整備地域として水田区画整理を実施した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7252571