脇野沢村(近代)

明治22年~現在の下北郡の自治体名。脇野沢村と小沢村の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。村役場は大字脇野沢字渡向に設置。明治24年の戸数260・人口1,789,厩9,学校2,船244(徴発物件一覧)。大正元年の戸数270・人口1,762。大正9年の世帯数377・人口2,398うち職業別人口内訳は,農業887,水産業992,鉱業5,工業205,商業90,交通業118,公務・自由業80,その他14,無職7。世帯数・人口は,昭和30年748・4,759,同40年879・4,689,同50年928・3,874,同55年968・3,739,昭和35年前後を境に人口は減少に転じたが,近年その減少率は低下している。明治期以降長距離廻船業の不振とタラの不漁により生計の多くは北海道への出稼ぎによる時代が続いた。その生活形態は,山在では杣夫としての伝統的技術を生かしたものであり,上在では,春は北海道のニシン場への出稼ぎ,夏は小女子やイワシの焼干・煮干などの製造,秋はイカ釣,冬はタラ漁というものであった。脇野沢・九艘泊・小沢の3漁港を有す。生計は特にタラ漁の好不漁に左右され,大正5・10・13年,昭和3・7~9・17・18年に好漁をみたが,同24年以降大不漁に見舞われた。出稼ぎ就労者数は同45年699人,同52年447人。以後横ばい傾向。北海道への出稼ぎが約60%を占める。同54年村民相談室設置。昭和41年以降ホタテの増殖事業を開始し,貝類を中心とした「捕る漁業」から「育てる漁業」へ転換をはかっている。同59年度からは大規模増殖漁場造成がスタートし,マダラの増殖に取り組んでいるが,漁業経営の安定にはまだ長時間が必要とされる。また,山林はほとんど国有地で村の総面積の8割以上を占める。大正13年,村有地貸付けによる農業生産の増大が目ざされたが失敗。農業生産は衰退ぎみで,耕地面積も昭和35年261.6haであったものが,同55年には122.6ha(うち田38.8ha・畑78.9ha・樹園地4.9ha),農家総世帯数・人口も昭和35年574・3,892,同54年444・2,115となっている。一方,仏ケ浦につながる西海岸が下北半島国定公園に含まれたことから観光開発に力が注がれている。昭和48年愛宕山公園建設,同50年鯛島とその周辺が海中公園に指定。北限のニホンザルの観光化も企図され,同44年以降九艘泊野猿公苑建設に着手,貝崎までの海岸遊歩道も建設された。昭和45年下北半島のサルおよびサル生息北限地がニホンザルの北限と同時に,世界における霊長類の自然分布の最北限として国天然記念物に指定された。同55年度に10年計画の「脇野沢村長期総合計画」を策定,「豊かで住みよい活力ある村づくり」が展開されている。同年東津軽郡蟹田町と脇野沢港を結ぶむつ湾フェリー就航。むつ市と脇野沢間の国鉄バス,脇野沢港・九艘泊港を経由する青森~佐井間の下北汽船とともに重要な観光客誘致の交通機関となっている。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7252753 |





