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岩手郡


全域盛岡藩領で,当郡の村々は各々沼宮内・上田・厨川・飯岡・向中野・雫石の各通に属す。天正20年の「諸城破却書上」には,郡内の不来方・厨川・下田・沼宮内・滴石・一方井の諸城が見えている(県史5)。豊臣秀吉の奥州仕置により領地が南へ拡大されたことから,従来の三戸や福岡から南に居城を移すこととなり,浅野長政に勧められたという盛岡の旧不来方城の地に,慶長~寛永年間新たに藩主居城としての盛岡城築城がなされ,それまで福岡城・郡山城に居住することのあった藩主も寛永12年以後は盛岡城に居して,以後江戸期を通じて同城が不動の藩主居城となった(同前)。また,盛岡築城とともに盛岡城下の建設も行われ,元和元年から同4年の間に武家屋敷地および町人地の23区画が定められて,まず武士などを三戸から移して,同5年には三戸城下の町民も移した。さらにこの盛岡城下建設期には紫波郡などにあった由緒ある著名寺院が城下北方の北山に移されて寺院街が成立した。村数・石高は,「正保郷村帳」55か村・1万429石余(田8,562石余・畑1,867石余),「貞享高辻帳」54か村・1万2,223石余,「邦内郷村志」84か村・3万7,586石余,「天保郷帳」55か村・3万5,903石余,「安政高辻帳」54か村・2万8,863石余,「旧高旧領」85か村・4万5,941石余。元禄15年には大更【おおぶけ】の3村を御側御地と称し,新田奉行を設けて開墾事業に着手した。同所が享保18年開拓竣工して大更新田が成立したのを始め,当郡内では積極的に新田開発が行われた。なお,太田村は藩主御用米の生産地であった。「邦内郷村志」によると人数7万1,742(男3万8,480・女3万3,262)。「本枝村付並位付」では村数87。天保8年「御領分中一村限御蔵給所惣高帳」によれば,石高3万8,975石余。武士や宗教関係などを除く農民・町民の人口は,天和3年2万8,700(男1万5,556・女1万3,144)でほかに盛岡城下1万2,324(男6,747・女5,577),元禄5年2万5,291(男1万3,640・女1万1,651)でほかに盛岡城下1万3,691(男7,303・女6,388),正徳2年3万2,636(男1万7,400・女1万5,236)でほかに盛岡城下1万4,820(男7,997・女6,823),宝暦2年3万6,482(男1万9,647・女1万6,835)でほかに盛岡城下1万6,221(男8,953・女7,268),寛政2年3万9,871(男2万1,614・女1万8,257)でほかに盛岡城下1万6,416(男8,691・女7,725),文化13年6万353(男3万2,742・女2万7,611),天保11年6万307(男3万2,187・女2万7,592)である(県史5)。盛岡城下の建設に伴い旧城下三戸から武士とともに商人が移住して来て三戸町を形成するなど盛岡は藩庁所在地として領内経済の中心地ともなり,早くから近江商人も活動を始めて,小野氏・村井氏一族の井筒屋・鍵屋など藩政を左右するような豪商を輩出した(盛岡市史)。当郡雫石川流域の山林地帯は檜・杉の産地として知られ,藩もその掌握に腐心し,寛永21年には諸木材の川下げを監視したと考えられる雫石桴奉行が任命されている(県史5)。文政3年の雫石通における山数と主な樹木数は,「雫石通御代官所御留山書上帳」によると山数57,檜9万1,061本・黒檜2,840本・杉4万3,065本。また,椀飯物と呼ばれる杉や檜で造る白木の膳や桶などの細工物は雫石地方の特産品であった(雫石町史)。また,雫石川では鮎・鮭などの川魚漁が行われていた(同前)。「奥々風土記」には鶯宿温泉・繋【つなぎ】温泉・国見温泉・網張温泉・松川温泉が記され,なかでも繋温泉は疥癬・諸悪瘡に効があって男女老少昼夜の別なく群集したといい,当郡の産物は大豆・小豆・青瓜・白瓜・胡麻・黄瓢・茄子・芋の子・百合根・午蒡・赤人参・根芹・辛芥・久々多知・藍・蒜・葱・韮・麻糸・真綿・檜・楢・起炭・根花・蒲行纒・釜・絹糸・紬などとある。江戸初期には奥州街道が整備され,盛岡からは秋田街道・鹿角街道・宮古街道などの諸道が発し,領内里程の中心は盛岡城下鍛冶町と定められていた。しかし,北上川・雫石川に沿う奥州街道や秋田街道などは架橋工事などが必要とされ,ようやく築かれた橋も度々の洪水によって破壊されることが多かった。一方,北上川の水上交通は盛岡城築城後本格化し,盛岡城下に河岸が成立して江戸廻米や物資輸送に利用された。寛政7年紫波・和賀・稗貫郡下の農民が重税に反対する一揆を起こし,数千人が盛岡城下仙北町に押し寄せたが,これに厨川通・上田通・向中野通の一揆も加わって,藩の臨時の課税免除を求めた。天保6年には沼宮内・厨川通で検見反対の一揆が起き,また天明3年・文化12年・天保元年などには盛岡城下で米騒動が発生している(盛岡市史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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