大更村(近代)

明治22年~昭和31年の自治体名。はじめ北岩手郡,明治30年からは岩手郡に所属。大字は編成せず。村役場を字大更に設置。東西約7.3km・南北約7.9km,面積約34.5km[sup]2[/sup]。明治22年戸数435・人口2,624。村の西域に位置する字大更に人家が集まり,県道津軽街道(旧鹿角街道,現国道282号)が縦貫し,田頭【でんどう】村・松尾村に至る県道を分岐する。大正4~5年松尾鉱山鉄道が松尾村屋敷台から大更駅(竹花)まで敷設され,また同6年岩北鉄道が平館から大更駅を経て国鉄東北本線好摩駅に至った。同11年岩北鉄道に代わって国鉄花輪線が開通し,大更駅が開業。明治34年開設の郵便受取所は,同38年大更郵便局となる。明治37年の作付反別は粳米2,498反余・糯米158反余・大麦326反余・小麦71反余・大豆1,188反余・粟1,571反余・稗1,843反余・蕎麦2,022反余。明治23年の多額納税による貴族院議員に工藤寛得がおり,同37年の納税額は2,111円余。大正7年八坂神社境内の工藤寛得碑除幕式に原敬が出席。昭和2年の野上弥生子の「腐れかけた家」は工藤家での体験に発想した作品。昭和4年の人口3,981,馬665頭・馬飼育292戸。自作農112戸・自小作農295戸・小作農72戸。昭和11年に電灯を引くが,渋川など16か所ではランプを用い,昭和12年に松明を照明とする家3戸。昭和26年の公有地1,281反,民有地は田3,928反・畑6,248反・宅地17万坪余・山林3,775反・原野4,750反,戸数1,035,人口男3,297・女3,318。大更郵便局・大更小学校・同校渋川分校・山子沢小学校・大更中学校・食糧事務所出張所・営林署貯木場・沼宮内警察署大更駐在所などがあり,また酒造工場・製材工場がある。昭和30年の農家627戸・鉱工業者43戸・商家93戸・その他193戸。盛岡~平館間を民営バスが走行する。昭和31年西根村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7253196 |





