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乙部村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。紫波【しわ】郡のうち。盛岡藩領。上田通に属す。村高は,「正保郷村帳」287石余(田229石余・畑57石余),「貞享高辻帳」337石余,「邦内郷村志」882石余(うち給地333石余),「天保郷帳」882石余,「安政高辻帳」707石余,「旧高旧領」964石余。「邦内郷村志」では家数120,馬158。「本枝村付並位付」によれば,位付は上の中,家数119,集落別内訳は本村47・乙部町26・沢川目20・上乙部26。寺社は,曹洞宗如法寺・稲荷・天神・観音があり,如法寺は稗貫【ひえぬき】郡寺林大興寺の末寺で,報恩寺の支配という(邦内郷村志)。盛岡・大迫【おおはさま】・釜石(北上川河東域)を結ぶ釜石街道の宿駅を形成し,元禄16年藩からの定として乙部より盛岡へ1駄の駄賃銭88文,大迫へ140文と決められている(御領分高札集)。嘉永2年4月,33戸が焼失し如法寺も延焼。文久元年1月には乙部町の大火で26戸が焼失した。明治元年松代藩取締,以後盛岡藩,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属。同10年の村の幅員は東西25町・南北21町,税地は田97町余・畑109町余・宅地28町余など計274町余,戸数181・人口1,063(男537・女526),馬200,人力車7,社1(熊野神社),寺1(如法寺),会所1(第6大区1番扱所),職業別戸数は農業161・工業7・商業9・僧侶1・神官1・士族2,物産は馬・鶏卵・米・大豆・小豆・大麦・小麦・蕎麦・稗・黍・蘿蔔・瓜・柿・酒・麻布,地味は黒質瘠土で下位に属すが,西・北部は赤・黒色土がまじり下位の上に属すという。また,北上川は,北隣の黒川村からゆるやかに流れて江柄村に至るが舟帆運漕の便があり長さ23町,乙部川は,大萱生【おおがゆう】村から流れ幅4間,水田78町余を潤している(管轄地誌)。同13年乙部郵便局が設立され,郡内では日詰局に次いで古く,開設当初は盛岡から大迫・遠野・釜石方面への駅馬や飛脚によって逓送したといわれる。同22年乙部村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7253258