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煙山(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ煙山村,昭和30年矢巾村,同41年からは矢巾町の大字。明治22年の戸数99・人口668。国有林野の経営は同32年の特別経営事業の開始以来本格的な林業経営へ転換した。同37年に,小休場付近に総面積61町をもって「苗圃」が設定された。国有林特別経営事業の最盛期には30町の苗畑をもち,青森営林局管下最大の苗圃であったという。しかし天然更新法による育林法の採用,食料増産などにより一時荒廃した。その後再び復活し昭和26年には苗畑18町,年間生産は300万本,雇用労務者は年雇5人,臨時雇313人,年間延べ1万9,615人という大規模なものである(村落構造の史的分析)。北上川の支流雫石【しずくいし】川からの水を引いてくる人工水路の鹿妻幹線水路が昭和2年字松ノ木のほぼ中央を南北に貫通した。それによって一挙に水田面積が増加した。一家当たりの経営面積も増加し,第2次大戦終了時には一家当たりの水田の経営面積は約1町6反,畑を合わせると約2町となる(同前)。同43年,通称四角野原六串田の地域に国営事業としての煙山ダムが完成した。これにより岩崎川・大白沢川の洪水がなくなり,清水野開田80haと旧田の灌漑ができ,さらに140万tの水をたたえ住民の憩える場ともなった。これで完全に江戸期からの秣場や林野が消え生活様式も変化した。その一例として「南部の曲屋」の屋根の原料とする萱も入手できず姿を消した。同44年南昌山山麓の幣懸【ぬさかけ】の滝近くからラジウム鉱泉「南昌の湯」を引き,鳶ケ平に町立国民保養センター南昌荘を完成。7月に祭事を行っている南昌山神社は,毒ケ森神社が明治28年改名したもの(紫波郡誌)。実相寺に城内観音堂本尊聖観音(焼観音ともいう)を奉安してある。焼観音のお年越は旧暦の12月17日の夜である。この日,城内集落の人達が城内山中腹の観音堂に集まり,杉の木の枝を積み重ねて「せあどたき」(祭灯焚き)を行う。木で造った2柱の観音仏を包むように円筒形に約3m以上に杉の枝を重ねて焼く。焼け焦げた観音仏の灰を顔や手に塗りつけると火難は勿論,無病息災を得るという信仰が伝承されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7253681