台村(近世)

江戸期~明治22年の村名。稗貫郡のうち。盛岡藩領。享保20年から寺林通に属す。村高は,「正保郷村帳」76石余(田75石余・畑1石余),「貞享高辻帳」89石余,「邦内郷村志」213石余(うち給地38石余),「天保郷帳」212石余,「安政高辻帳」170石余,「旧高旧領」238石余。「邦内郷村志」では,家数25,集落別内訳は台村13・湯之沢9・上川原3。「本枝村付並位付」によれば,位付は中の中,家数39,集落別内訳は本村30・湯ノ沢7・上河原2。天和2年南部重信が資金を投じて東の二枚橋新田を開墾していることから(湯本村誌),当時の村高の増加は開墾に力を入れたためであろう。宝暦初年の「八幡・寺林通御代官所惣高」(花巻市史1)によれば,村高213石余,うち役高149石余・米定高11石余・新田高13石余・金目高5斗余・河島平左衛門給所高38石余。安政6年8月16日当地方に大風があって万物を損じたという(花巻市史4)。寺院は享徳3年創建と伝える曹洞宗万寿山松山寺。神社は坂上田村麻呂の創建と伝える葉山権現,天保9年の火災で焼失し嘉永元年再建された薬師如来を安置する温泉神社がある。台温泉には湯壺が5か所あり,藩主もしばしば入湯している(同前1)。明治元年松本藩取締,以後盛岡藩,盛岡県を経て,同5年岩手県に所属。明治4年頃温泉神社が当村と二枚橋村・湯本村の村社となり,のち湯本村が羽山神社を村社とするようになったという(同前2)。同9年松山寺本堂の一部を開放して公立小学校が開設された。同年の村の幅員は東西約1里24町・南北約25町,税地は田28町余・畑16町余など計50町余,戸数44・人口215(男114・女101),馬33,職業別戸数は農業42,物産は米・大麦・大豆・小豆・小麦・粟・蕪菁・陶器,台温泉は脚気・中風などに効があって年間の浴客は約5,000人を数えた。また万寿山からは白石を産した(管轄地誌)。同22年湯本村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7254069 |





