玉川(近代)

明治22年~現在の野田村の大字名。明治22年の面積2,457町余,戸数63・人口375(県町村合併誌)。同29年の三陸大津波により玉川小学校校舎流失。翌30年再建。同38年玉川鉱山採鉱,昭和35年には月産3,000~4,000tで,国内屈指のマンガン鉱山となる。玉川鉱山という1つの行政区を形成する。昭和8年民営乗合バスが字下安家まで開通。同14年頃根井開墾に字玉川から入植する。同24年下安家に鮭孵化場が完成し,同37年には玉川に簡易郵便局が開設する。同45年玉川小学校が野田小学校に統合され,廃校となる。同47年下安家大橋が完成し,国道45号が全線開通する。同年玉川鉱山は新会社となる。同49年野田協業養豚組合が発足し,字根井に養豚団地ができる。同50年東立鉱業工芸創立,玉川鉱山から採掘されるバラ輝石を加工した装飾品「貴石マリンローズ」を作る。同50年国鉄久慈線が開通し,野田玉川駅が設置されたが,同線は,同59年三陸鉄道に移管され,北リアス線となっている。同55年下安家に県営鮭鱒孵化場(1,000万粒孵化能力)が完成する。世帯数・人口は,昭和45年236・1,070,同55年182・719。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7254178 |





