似内(中世)

室町~戦国武士似内氏の本拠地。稗貫【ひえぬき】郡のうち。似内氏は郡主稗貫氏の分流。稗貫氏初代為重(広重)の弟,孫八郎為政がはじめて似内を名乗ったという(槻木稗貫系図など)。似内氏の分家を鎌倉初期まで遡らせることの真偽はさだかではないが,古くからの分家であることは疑いを容れない。室町期の永享7・8年,和賀・稗貫動乱に際して,稗貫瀬川館十八ケ沢【さかりがさわ】に立籠った「稗貫の一家」に,「矢沢・小田・似内・槻木」などと見える(吾妻むかし物語)。旧記に見える似内雅楽・同平蔵・同隼人などは戦国の人か(邦内郷村志)。似内の古館は北上川沿いの平城。似内館ともいう。始祖為政以来,似内氏の居所と伝える。なお,中世末,郡主稗貫氏に嫡子なく,和賀郡主薩摩守義治の次男孫次郎(のちの大和守広忠)を迎えた。この時介添役として随行した平沢雅楽助に当地の一部(のちの北飯豊)が給されたという。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7254526 |