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平泉村(近代)


 明治22年~昭和28年の西磐井郡の自治体名。平泉・中尊寺・戸河内の3か村が合併して成立。旧村名を継承した3大字を編成。戸数・人口は,明治22年533・3,503,同34年568・4,211。明治22年平泉字志羅山の千葉省吾方に巡査駐在所が設置された。その後駐在所は,字伽羅楽(千葉市之助宅),大正4年字花立(千葉幸七宅),同8年字柳の御所,昭和4年字鈴沢に移転(平泉村郷土教育資料)。明治23年日本鉄道(現国鉄東北本線)が開通し,同31年平泉に平泉駅を開業。同34年字泉屋に平泉郵便局が開業(県史10)。同39年金融の改善,経営用品の配給,生産物の販売・統制,諸施設の完備を目的に産業組合が設置された。出資口数は1,598,出資金は1万1,960円,貯金は5,691円(平泉村郷土教育資料)。同40年坂下耕地整理事業が施行された。事業前の耕地15町余は,その後17町余となる。事業費は1,756円(県勧業課耕地組合綴)。同41年字毛越に平泉小学校が開校,それまでの高館尋常小学校を分教室,佐野・衣関【きぬとめ】・達谷尋常小学校を廃し分教場とする(古都平泉の教育百年史)。同42年中尊寺本坊建設と保存建造物の保護警備のため中尊寺一山で中尊寺巡査駐在所の設置を協議。大正2年9月から3か月間,一関署から巡査が派遣された。巡回期間の終了直後,本坊の本尊阿弥陀如来が盗難にあったため,寺側で駐在所を建設することを条件に常駐の巡査の配置を請願。同3年巡査海野氏が配置された(平泉村郷土教育資料)。同5年村青年団が設立され,平泉・高館・衣関・佐野・達谷・戸河内に支部が置かれた。事業は修養会・講習会の開催,道場の開設,読書の奨励など。会のなかに産業部・学芸部・体育部・経済部が置かれた。女子青年団は昭和2年に設置。大正6年平泉駅前に電灯が架設。同11年内務省史跡名勝天然記念物調査会から毛越寺跡・無量光院跡が保存指定される(古都平泉の教育百年史)。この頃平泉信用組合・戸河内信用組合が設置された(県町村誌)。同14年清衡公800年祭が施行され,観光客で未曽有のにぎわいをみた(古都平泉の教育百年史)。昭和5年内務省が毛越寺跡を発掘調査。同6年平泉大橋―中尊寺下―坂下―瀬原―前沢の新国道の建設に着手,翌7年開通(同前)。昭和6年平泉少年健児団結成,翌年平泉少年団と改称し,少年団日本連盟に加盟(平泉大鑑)。大正9年の民有地は田408.9町・畑431町・宅地70.7町・山林903.9町・原野724.9町(県統計年鑑)。同11年の物産は,米7,304石・麦4,116石・大豆1,791石・小豆30石・大麻2万5,300貫・鱒57貫・鮭120貫・鮎60貫・繭527石・麻織物162反・瓦9万6,000個・用材5,581石・木炭2万3,000貫・薪3,038棚(県町村誌)。同12年養蚕業の振興のため養蚕組合が設立され,飼育の改善,掃き立ての制限,桑園の改良をとりあげた。組合員は,219名(平泉村郷土教育資料)。昭和10年の世帯数562・人口5,280。同年の職業別戸数は,農業549・水産業2・鉱業7・工業55・商業118・交通業42・公務自由業75(県統計年鑑)。同年の総生産額は,39万円余,うち米18万円余・麦5万円余・繭2万円余・大豆1万円余・砂利5,000円・薪4,800円・木材4,600円・木炭4,300円・鶏卵3,600円・馬3,500円(県郷土誌)。同13年北上川対岸長島村との間に高館橋が架橋され,長年利用された渡船が廃止された。同年商業組合が設立され,組合員は78名。また同年農事実行組合が設置され,農会の指導のもとに各種農事指導に従事(平泉村郷土教育資料)。同18年第2次大戦に協力するため中尊寺の境内林が供出された。同20年8月10日米軍機が平泉駅前通りに焼夷弾を投下,約50戸が焼失。同22年平泉中学校が開校。同年アイオン台風,翌23年カスリーン台風のため北上川が氾濫。アイオン台風の時は,高館地内を島状に残して,鉄道は北が桜川踏切り付近まで,南が回り水のため無量光院西まで冠水,国道は北が坂下地内,南が中里方面から花立地内まで冠水,旧国道は柳の御所南端まで船が往来するほどであった。同年県立一関第一高校定時制課程平泉分校が開校(同26年廃止)。昭和25年朝日新聞文化事業団により藤原4代の学術調査が行われた。同年の世帯数1,112・人口6,839。農地改革は順調に進められ,昭和22~24年にかけて自作農は272戸から462戸へ,自作兼小作は272戸から214戸へ,小作兼自作は159戸から37戸へ,小作は103戸から26戸と変化,農業の近代化に大きな影響を与えた。同27年文化財保護委員会と県教育委員会によって無量光院跡の発掘が行われた。同28年町制施行。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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