十文字村(近世)

江戸期~明治22年の村名。亘理【わたり】郡のうち。亘理館主伊達氏の知行地。村高は「元禄郷帳」706石余,「天保郷帳」では787石余。「封内風土記」の戸口26。「安永風土記」によれば,田代66貫余・畑代11貫余,計78貫余,大部分が給人地。人頭22人,家数31(うち名子5・水呑4)・人口168・馬23,寺社に村鎮守妙見社,阿弥陀堂,曹洞宗の満昌寺・高音寺がある。十文字町には足軽屋敷があり,小さな町並みを形成した。明治2年新南部氏領,以後,白石【しろいし】県・角田【かくだ】県・仙台県・宮城県・磐前【いわさき】県を経て,同9年宮城県亘理郡に所属。明治18年の戸数55・人口334・馬27・舟1,産物は米・小麦・大豆・粉藍(磐城国亘理郡地誌)。同22年逢隈【おうくま】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7256597 |





