鉄砲町(近世~近代)

江戸期~現在の町名江戸期は仙台城下町の1つ明治11年宮城県仙台区に所属同22年からは仙台市の町名仙台城下の東部,二十人町の北裏にあり,東は榴ケ岡【つつじがおか】北麓に至り,宮城郡南目【みなみのめ】村の原町駅に通じていた町名は鉄砲足軽組が置かれたことによる正保の絵図では元寺小路の東末に続いて,足軽屋敷が一部分割り出されているのみであるが,寛文年間のものになると,南裏の二十人町とともに,完成した姿で描き出されてくる二十人町との間には西方から於多福横町・和光明神横町・鉄砲町三丁目横町の3本の横町が通り,後者は釈迦堂門前へ通じていたこの絵図には鉄砲町東末に牛小屋と記されている延宝年間の絵図には米蔵と材木蔵が並んで記されているなお,「伊達世臣家譜」によると鉄砲町足軽総勢は138人であった当地に鎮座する和光明神は,元和2年,大坂の役の後に鉄砲組足軽によって勧請された社於多福横町は夜ごとお多福が現れて人々を困らせたという伝説から名がつき,桃太郎横丁とも称された明治になると東方の原町・岩切・塩竈方面への通路,榴ケ岡につくられた歩兵連隊との取引により商店街に変化個人商店の多い町並みであった最近ではアパートなどの進出が目立っている昭和46年一部が小田原2丁目となり,残余は住居表示未実施のまま現在に至る

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7256882 |





