二郷(近代)

明治22年~現在の大字名。はじめ南郷村の大字,昭和29年からは現行の南郷町二郷となる。村の南部低地帯に位置するため明治30年・同43年・大正2年・同6年・同9年と昭和前半期まで洪水のたびに大きな被害を受けた。特に明治43年の大水害では浸水531戸が床上または屋根上に達し,鳴瀬川堤防上に仮小屋を建て2週間も暮らしたという。字砂山は全集落150戸が浸水,壊家6・流失12という惨状であった。耕地整理工事は明治後期から大正初年に集中して実施され,明治39年に二郷治郎右衛門地区76町5反,同40年二郷二間堀地区72町,二郷蛇沼ほか一字地区98町,二郷喜兵衛沖名地区127町,同42年二郷蛇沼地区60町3反,同44年二郷組合246町1反,大正元年二郷字沖新堀向地区94町8反,下二郷組合488町,大正12年入八町組合73町5反,昭和10年矢返共同組合26町4反等で計1,362町6反に及んだ(南郷水利史)。明治41年の戸数450・人口2,675(南郷村治一班)。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7257145 |





