沼倉(中世)

南北朝期から見える地名。栗原郡に属す。「中尊寺文書」建武元年8月日付衆徒言上状には「沼倉少輔三次隆経」また,「沼倉文書」建武元年9月日北畠顕家袖判着到状には「沼倉少輔小次郎隆親」の名が見え,この沼倉氏が沼倉村に拠った中世地頭である。地名としては「奥州上行寺曼荼羅脇書」(宮城県史30)に「応永十一年甲申卯月日,之を富士大石寺檀那奥州沼倉の住人妙珍盲者に授与す」とある。戦国期は葛西代の勢力下にあり,沼倉氏もその家臣となり,特に「白岩館」館主沼倉飛騨守信行は葛西氏没落後,天正19年桃生【ものう】郡深谷糠塚(須江村)で伊達政宗と戦い戦死(仙台人名大辞典),その墓は岩手県一関市,旧萩庄村市野野にある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7257189 |