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日根牛村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。登米【とめ】郡のうち。寛永6年11月11日付の伊達政宗領知黒印状に「六拾五貫七百二十三文同(登米の内)ひねうし村」とある(伊達家文書)。慶長9年以来登米伊達氏の知行地で幕末に至る(登米町史編纂資料集)。「元禄郷帳」の村高は656石余,「天保郷帳」では787石余。「安永風土記」によれば,村高は田代55貫余・畑代23貫余で計78貫余,うち蔵入地が2貫余で大部分は登米伊達氏の知行。人頭148・家数166・人数1,006・馬150匹・小艜3艘を有し,神社は鎮守の熊野大権現はじめ,天照大神宮・鷲八幡・山神・天満大自在天神・新山権現・山神の7社。寺は曹洞宗米谷山五秀寺・真言宗岩玉山蔵福院の2寺。ほかに修験の羽黒派山伏常光院や大日・薬師などの仏閣5堂がある。産物はゴボウ・カラシ・ダイコン。品替り百姓が23人おり,いずれも寛永19年の検地で高請けする以前には,羽沢・山田両所に居住して金を採掘していたという。村内には登米郡寺池を通り本吉郡柳津町・北沢町,登米郡米谷町三ケ宿へ通用の往還が通っており,北上川には渡船が,羽沢川河口近くには土橋が架かっていた。また羽沢川の川中には畳石と呼ばれる大石があり,山居沢にある狸石は瘧【おこり】(マラリア)を患う者が参詣し治癒を祈願したという。なお,村内には中町・裏小路・横町・新小路と称する町場跡があり,往古葛西氏の長臣が当村の古館に居住していた際の城下町の跡という。安永当時はすでに百姓屋敷や作場通用道になっていた。明治元年土浦藩の預り地,以後,涌谷【わくや】県・登米県・一関県・水沢県・磐井【いわい】県を経て同9年宮城県に所属。この間明治6年小島・寺池・日野渡3か村と合併,登米【とよま】村の一部となったが,同12年分村,さらに同22年登米郡登米町の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7257327