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宮村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。刈田郡のうち。仙台藩御一家片倉氏の領地。「天保郷帳」の村高は1,228石余,「安永風土記」によると村高120貫余・人頭54・家数73・人口532・馬48。産物はタバコと紅花。蔵王【ざおう】山麓の朝露は紅花の摘花の好条件であった。「江戸道中往来」に「宮たちは さも白石の鎧越【あぶみごし】」と歌われた奥州街道の宿駅で,永野・猿鼻・川崎を経て笹谷峠を越える最上道の分岐点。17世紀前半出羽諸大名の参勤交代の通路は笹谷越が多く利用された。元禄期には柴田郡前川村と岳山境論,円田村および曲竹村との間で境論があったが落着をみている(片倉代々記)。天保期片倉家の奨励によって松川沿岸向山【むかいやま】にモモが植えられ,明治18年1,000荷を生産した(刈田郡地誌)。式内社苅田嶺神社は白鳥明神社ともいい,北へ2kmの鉄砲町の近くに神職の居住したという宮司【みやつかさ】という地名が残る。地内遠刈田は遠刈田温泉としてにぎわい,同地の郷社苅田嶺神社は,大和国吉野山の蔵王権現金峰山神社神霊を奉遷し蔵王大権現と称し,里宮には蔵王寺があった。明治5年水分神社と改め,同8年より苅田嶺神社と称した。白鳥明神社の別当寺蓮蔵寺は子院48院を持つ寺であったが,応仁の乱後荒廃し,宮本坊・岳の坊・山の坊の3坊を残すだけとなった。宮本坊は伊達政宗より宝池山蓮蔵寺の寺号と寺領200石を与えられた。寛永13年開基の臨済宗松川山三谷寺は2度の火災で類焼。明治18年の戸数333・人口2,412・人力車17・荷車15・牛28・馬264で,同20年東北本線開通まで宿駅の機能を存続した(刈田郡地誌)。明治元年新南部氏領,以後,白石【しろいし】県・角田【かくだ】県・仙台県・宮城県・磐前【いわさき】県を経て,同9年宮城県に所属。同22年以降も刈田郡下の単独の自治体として存続。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7257643