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浦田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国秋田郡阿仁小猿部【おさるべ】のうち。秋田藩領。村高は「正保国絵図」本田当高389石余,「享保黒印高帳」村高387石余・当高318石余(うち本田210・新田108),「寛政村附帳」当高218石余(うち蔵分212・給分6),「天保郷帳」318石余。当村より阿仁川上流の村々を上郷,下流の村々を下郷と呼び,それぞれの区域で親郷管内とした。享保年中の戸数78軒,寛政年中は100軒(寛政村附帳)。阿仁銅山の周辺村として米の上納分が当高のほとんどを占める状況が続いた。支郷は大淵村のみ。鎮守は伊勢・薬師・観音・愛宕・唐松・八幡がある。明治7年寄延村を合併。17年に桂瀬村と組合を作るが,同22年桂瀬村と分れ,北秋田郡米内沢【よないざわ】村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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