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川原村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国仙北【せんぼく】郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」では川原悪戸村528石と図示。その後川原村と村名を改称(秋田領変地目録)。「元禄7郡絵図」では川原村548石余と図示。藩政初期から三森市左衛門・山崎圭之助・和知新蔵ら藩士・角館給人の指紙開・注進開が継続され,やがて当村農民伝吉らが注進開を引き継ぎ,18世紀中頃からは角館町有力町人が開発の主導権を握る。「享保黒印高帳」では村高610石余・当高607石余(うち本田445・本田並8・新田154),「寛政村附帳」で当高616石余(うち蔵分487・給分129)と認定。当時は親郷白岩前郷【しらいわまえごう】村の寄郷。阿久戸【あくど】・寺沢・羽黒堂・八卦【はつけ】・北沢・赤平の6か村を枝郷に擁し,戸数は「享保郡邑記」で52軒(うち枝郷分43),「秋田風土記」で70軒。村鎮守羽黒社のほか,阿弥陀堂がある。藩政中期に曹洞宗の満福寺(角館町天寧寺末寺)を寺沢に開基。山谷川流域の当村を含む奥北浦3か村には,ことに角館町人らの質地小作関係が浸透。天保5年奥北浦43か村が蜂起した大一揆では,一揆主導村となった。「天保郷帳」は607石余。幕末には親郷八割【はちわり】村の寄郷。「元治元年奥北浦村々取調帳」では,当高621石余,78軒・402人・馬87頭(小貫家文書)。明治18年三省学校(同20年川原尋常小学校)開校。同22年仙北郡中川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7259014