小館花村(近世)

江戸期~明治22年の村名。秋田郡北比内【きたひない】のうち。秋田藩領。慶長8年村高10石余の小村として出発。米代川の洪水に悩み,大館城の物資集散地たる舟着場も西接の根下戸【ねげど】村に移転したが,大館給人黒沢氏らの指導により氾濫原の新田化が進められた。寛永18年小館花開発の指紙がある(大館佐竹文書)。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに小館花新田村66石と図示。新田村と認定されていたことがわかる。宝永~享保年間の郡村改めの際に新田の字をとり,小館花村として,「享保黒印高帳」では村高147石余・当高126石余(うち本田10・本田並50・新田66)と認定。天明飢饉後の「寛政村附帳」では当高43石余(ほとんど給分),「秋田風土記」では33石余,「天保郷帳」は126石余,「郷村史略」は87石余と記載。「御判紙写帳」では当村に給分を指定された大館給人7人を記し,うち黒沢氏は慶安5年15石,承応2年31石,享保16年48石,文化10年48石とあり,「寛政村附帳」「秋田風土記」の当高より多少上回る数値を記している。戸数は「享保郡邑記」が元禄8年に6軒潰れて現在7軒と記し,「秋田風土記」は11軒。「郷村史略」では16軒・78人・馬31頭とある。村鎮守は神明社(例祭9月20日)。親郷大館町の寄郷であり,北方を横断する羽州街道の丁場間数を負担した。明治11年戸長役場を東大館町とする9か村と連合,同22年北秋田郡上川沿【かみかわぞえ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7259261 |





