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駒場村(中世)


 戦国期に見える村名。出羽国山本郡のうち。天正18年12月19日豊臣秀吉が本堂城主本堂忠親の当知行を安堵した朱印状写に,「駒場村」787石余(うち田66町・畑10町5反)とある(本堂家系譜)。北は窪堰川から引水した冷上【ひやかみ】川を境として,旧戸沢一門梅沢氏領でこの時太閤蔵入地に設定された沖野郷野口村と接し,西南も戸沢領横堀村と接する。上記の石高は近世の駒場村を中心とし,川口川右岸部も一部含んだと推定される。羽黒堂や修験正覚院は中世以前からまつられていたと伝えられ,曹洞宗竜像院も天正~文禄年間に再興。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7259321