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杉宮村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。雄勝郡のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに571石と図示。ただし前者では経塚(京塚)村を当村枝郷とし,後者では八幡村を枝郷とする。「享保黒印高帳」では村高780石余・当高787石余(うち本田507・本田並40・新田240),「寛政村附帳」で当高432石(すべて給分),「秋田風土記」で432石,「天保郷帳」は787石余。枝郷に田畑・林越【はやしのこし】の2か村を擁する。戸数は「享保郡邑記」で103戸(うち枝郷分23),「秋田風土記」で113戸。江戸期を通じて西馬音内前郷【にしもないまえごう】村の寄郷。天保4年の凶作により同5年7月の米価は1俵9貫文に達し,この地域の最高値。また久昌寺の天保5年過去帳に「飲食飽満信士」の戒名がある(町郷土史)。村鎮守三輪神社のほか稲荷社。寺院は真言宗吉祥院(仁和寺直末寺)・曹洞宗三輪山久昌寺(湯沢町清涼寺末寺),修験は宝等院。明治9年新検改租対象地は田142町7反・畑39町2反・宅地11町3反・林3町8反・原野23町6反,戸数111(うち農業は養蚕兼業10を含み89・商業6・工業7・雑業3・社6)・人口532・馬36。産物は桑葉3,000貫・生糸15貫・真綿3貫700目・大根3,700本・菓子類30貫(郡村誌)。明治8年杉宮学校(明治35年から三輪小学校)を創立。同22年雄勝郡三輪村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7259697