添川村(近世)

江戸期~明治22年の村名。秋田郡のうち。秋田藩領。慶長8年の村高354石余と推定される。元和8年には添川山の用木利用の愁訴を起こして許されている(政景日記)。「正保国絵図」では359石。「元禄7郡絵図」では358石余。「享保黒印高帳」では村高505石余・当高514石余(うち本田384・本田並64・新田66)で開発が早く充実していた状況を示す。「享保郡邑記」では70軒(うち湯沢・三本松・湯沢台3か村分計27)。湯沢台は寛永12年の開村。「寛政村附帳」では親郷泉村の寄郷で,当高475石余(うち蔵分380・給分95)。「秋田風土記」では600石・67戸,用水は仁別【にべつ】川(旭川)。枝郷3のうち湯沢はもと温泉があって繁昌したというが当時はなかった。古社杉野明神社鎮座。寺院は曹洞宗湯沢山乗福寺(松原補陀寺末),開山の雪峯慶秀は元文4年示寂という。一方寺伝ではもと湯沢にあった天台宗寺院。永正17年曹洞宗として再興されたとする(秋田のお寺さん)。「天保郷帳」では514石余。この頃人口335・馬60・牛40(羽陰温故誌)。明治の郡区町村制下,泉村に戸長役場を置き,泉・保戸野【ほどの】・新藤田【しんとうだ】・濁川【にごりかわ】・山内【さんない】・仁別【にべつ】の6か村と連合。明治22年南秋田郡上旭川【かみあさひかわ】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7259773 |





