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野御扶持町(近世~近代)


江戸期~昭和40年の町名江戸期は出羽国平鹿【ひらか】郡のうち秋田藩領江戸期に内町【うちまち】といわれた横手給人居住地の南端に位置し,西端を横手川が北流する横手野御扶持町ともいう町名の由来は,横手野御扶持方といわれた向氏支配の足軽の居住地域であったことによる藩主佐竹氏入部後常陸国から移り,平鹿郡樋口【ひのくち】村の佐藤利右衛門方に寄寓し,旧領の足軽であったが,荒蕪地を開墾したことによって延宝年間に30人が新たに足軽に取り立てられ,当地に居住することになったという(雪の出羽路・ざっとむかし)「享保郡邑記」では街路の長さ107間余とある宝暦5年の人口74(横手内町切支丹御調家内人数調帳)明治21年の戸数28・地価92円(秋田9郡市町村分合下調案)同22年平鹿郡横手町成立後も町名は引き継がれ,昭和26年横手市野御扶持町となる同40年住居表示実施により上内【かみうち】町の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260558