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橋本村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。出羽国仙北郡(寛文4年までは山本郡)のうち。秋田藩領。「正保国絵図」「元禄7郡絵図」ともに741石と図示。この間の慶安元年の検地帳には田畑屋敷84町歩・分米864石・戸数38軒とある。「享保黒印高帳」には村高990石余・当高877石余(うち本田731・本田並61・新田85),「寛政村附帳」では当高879石余(うち蔵分101・給分778),「天保郷帳」では879石余。親郷・枝郷に変動がある。親郷は当初大曲西根村,次いで払田【ほつた】村,幕末には高梨【たかなし】村。枝郷で享保年間から幕末まで村名の継承するのは,中井・婦気【ふけ】・稲荷・田中・中谷地の5か村,享保年間には鶴田,寛政年間には猫田【ねこだ】・千刈田,文化年間には不二権現・中・雀田・耳内【みみない】の村々が見える。戸数は「享保郡邑記」では56軒(うち枝郷分40),「秋田風土記」では66軒。「月の出羽路」では戸数48・人口247・馬35頭とある。寛政元年作太郎の祖母は長寿(90歳)として藩から表彰を受けた。安政5年の「郷中定め書帳」,慶応3年の「郷定書」があり,郷における自治の実体がわかる。村鎮守は富士神社。「元治元年仙北郡村々取調帳」では当高861石余,49軒・235人・馬52頭とある(小貫家文書)。明治11年戸長役場を高梨村とする9か村と連合。同22年仙北郡高梨村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7260605