町村(近世)
江戸期~明治22年の村名。出羽国由利【ゆり】郡のうち。慶長7年~元和8年最上氏領,同8年本多正純領,同9年から本荘藩領。鮎川郷に属し,元和8年滝沢兵庫頭知行地の中に鮎川西村とある(滝沢伝来記など)が,当村も含まれたという(町史)。「正保国絵図」や元禄11年「村高帳」では,西村当高288石余とある。町村となった時期は不明。安永6年町村は34戸あったという(鮎川村郷土史)。開祖不詳で,寛永15年蒲田館主淵名豊前守再建と伝える曹洞宗慈雲山瑞光寺(金沢大乗寺末寺)がある(羽陰温故誌など)。村鎮守は熊野神社。明治9年中畑村を併合する。戸数44(うち社2・寺1)・人数223(うち男116・女107)・馬53頭(うち17頭を本荘町馬市に販売)・舟2艘(漁船)とある(郡村誌)。同22年由利郡鮎川村の大字となる。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7261045 |