浅川村(近世)

江戸期~明治22年の村名。置賜郡のうち。古くは屋代郷に属したという。はじめ蒲生氏領,慶長3年上杉氏領,同6年米沢藩領,寛文4年幕府領(米沢藩預り地),文久3年からは再び米沢藩領。村高は,文禄3年の蒲生高目録では397石余,「天保郷帳」759石余,「旧高旧領」779石余。慶長年間の「邑鑑」では上長井郡に属し,村高397石余,免2ツ,家数26軒(うち役家4),人口99。天保9年の置賜郡御巡見ニ付万事答書(県史16)では,村高759石余,高免1ツ1分・毛付免2ツ2分,反別107町5反余,家数50軒・人口222。地内の稲荷神社は明治6年村社となる。置賜県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別214町6反余,戸数45・人口256,浅川学校がある。明治11年東置賜郡に属し,同22年上郷村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7261591 |





