柏谷沢村(近世)

江戸期~明治22年の村名。はじめ櫛引【くしびき】郡,寛文4年からは田川郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年庄内藩領,寛文3年松山藩領,江戸後期からは庄内藩領。狩川通に属す。村高は,元和8年の松山御知行目録には柏沢村と見え13石余,寛文元年の庄内検地高辻も同じく柏沢村と見え29石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに31石余。当村は本来は一村であるが,村内は庄内藩領と最上郡のうちの新庄藩領とに分かれ,行政的にも区別されて庄内藩領を柏谷沢,新庄藩領を柏沢と称した。幕末期の「弐郡詳記」では村高31石余,免2ツ8分。鶴岡県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別53町7反余,戸数5・人口14。明治11年飽海【あくみ】郡に属し同22年上郷【かみごう】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7262311 |