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勝浦村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。はじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文4年飽海【あくみ】郡,正徳年間からは田川郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領。無高地。なお「元禄郷帳」には朱筆で小坂村・勝浦村と見える。当村は古くから漁業を生業とし,また天然の良港として日本海の沖乗り航路の寄港地でもあった。年間500艘もの千石船が入港し,延享5年には13軒の問屋があったという(飛島誌)。安政4年浦村との間で激しい漁場争いが起こっている(同前)。寛文2年の書状(飽海郡誌)によれば,年貢としてイカ19駄,家数37軒・人数98。天和2年の飛嶋村数并家数・人数(県史17)によれば,家数53軒うち寺1軒・人数275,漁船80艘。家数・人数は,享保10年63軒・328,寛政4年62軒・422,文久3年62軒・323(飛島誌)。寺院は元和年間の開基という新義真言宗(智山派)円福院。神社は御積島(厳島)に鎮座する遠賀美神社があり,明治10年郷社となる(出羽国風土記)。鶴岡県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図によれば,反別6町6反余,戸数63・人口334,飛島学校がある。明治11年飽海郡に属し,同22年飛島村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7262344