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下荒田目村(近世)


江戸期~明治9年の村名下新田目村とも書いた庄内地方,出羽山地西麓に位置するはじめ遊佐【ゆざ】郡,寛文年間からは飽海【あくみ】郡のうちはじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領荒瀬郷に属す村高は,元和8年の御知行目録では下新田目村と見え162石余,寛永元年の庄内検地高辻でも下新田目村と見え164石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに166石余正保5年の納方土目録(飽海郡誌)では村高163石余,免5ツ1分,明和7年の納方土目録(酒田市,相馬家文書)では村高166石余,免4ツ1分享和3年の御郡中村数家数人高控帳(遊佐町,斎藤家文書)では家数10軒・人数40明治2年の御高家数人数調帳(八幡町,庄司家文書)では家数9軒・人数52当村はもとは平野部にあったが,元文元年に上荒田目村ほか2か村が移転する際に当地に移転した肝煎は明和7年五郎七,寛政9年与五内,天保8年池田五吉村内の地名には天神免・寺やしき・熊野堂前など寺社に関したものが多い鶴岡県を経て明治9年山形県に所属同年上荒田目村ほか2か村と合併して寺田村となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7263114