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手ノ子村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。置賜郡のうち。はじめ蒲生氏領,慶長3年上杉氏領,同6年からは米沢藩領。下長井東通に属す。村高は,文禄3年の蒲生高目録では1,306石余,「天保郷帳」1,878石余,「旧高旧領」1,296石余。慶長年間の「邑鑑」では,村高1,306石余,免4ツ,家数103間(うち役家27)・人数509。「上杉領村目録」では,村高1,104石余(御届高1,770石余),本免3ツ7分,安永7年改反別94町3反余(うち田70町9反余・畑23町3反余),戸数104・人口540,馬45・牛1。幕末期に高峰村を分村。越後街道八か宿の1つで,備付伝馬数36匹(要情秘録),上・中・下宿があり,宿場問屋・旅籠・牛馬宿・茶屋などが置かれ,にぎわった(添川村史)。明治5年に村社となった諏訪神社がある。寺院は曹洞宗源居寺・真言宗(醍醐派)歓喜院。また明治初期に当地を訪れたイサベラ・バードは「日本奥地紀行」(東洋文庫)に「午後に手ノ子という村に着いた。そこではいつものように,私は駅舎の縁側に腰を下し,一頭の馬が手に入るまで待っていた。それは大きな店であったが,ヨーロッパ製の品物は一つもなかった。一つの部屋に女や子どもの一団が,火を囲って坐っていた」とある。続けて,当地で請われるままにサインをし,お菓子と扇子をうけとった代わり,イギリスの針を与えたことを記しており,当地で親切な扱いを受けたことを喜んでいる。置賜県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別1,531町3反余,戸数112・人口658,手ノ子学校がある。明治11年西置賜郡に属し,同22年豊川村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7263800