西助巻村(近世)

江戸期~明治8年の村名村山地方,最上川上流沿岸に位置する村山郡のうちはじめ最上氏領,元和8年左沢【あてらざわ】藩領,寛永8年幕府領庄内藩預り地,同9年庄内藩領,慶安2年からは松山藩領西五百川【にしいもがわ】郷に属す村高は,元禄6年の検地帳写によれば59石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに60石余,天保13年の村山石高帳でも変わらず天明7年の左沢領村々様子大概書下(県史13)によれば,反別3町1反余,家数6軒・人数34(男17・女17),馬1旱損地である農間余業として男は薪取り,女は太布織り・青苧【あおそ】作り明治8年東助巻村と合併して助巻村となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7264249 |