庭月村(近世)

江戸期~明治22年の村名。最上郡のうち。はじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領。庭月郷に属す。村高は,「新田本新庄領村鑑」では元和8年1,438石余・元禄13年1,463石余,「天保郷帳」では1,031石余,ほかに当村の枝郷として高土井村334石余・岩木村402石余,「旧高旧領」では2,050石余。元和7年9月吉日付の庭月城主佐々木(庭月)理右衛門尉広綱が,庭月八幡神社に奉納した鰐口銘(山形市史史料編1)に「出羽国鮭延郷庭月村」とあるのが初見。寛文年間頃名主が不正を働いたため,百姓らが訴えて名主が罷免されたという(増訂最上郡史)。「吉村本新庄領村鑑」によれば,当村の反別は明和3年・文化元年ともに171石余うち田方122町余,年貢高は明和3年2,822俵余うち田方2,581俵余,文化元年2,819俵余うち田方2,578俵余,家数・人数は寛政6年90軒・562,文化9年101軒・558,文化9年の馬52,枝郷に西村・観音寺・高土井・岩木・岩下・大谷地・木ノ根がある。寺院は,羽黒派修験庭月山月蔵【がつぞう】院・同円正坊・同南学院,当山派修験修行院,葉山派修験住楽院,最上三十三か所第33番札所の観音寺,不動堂がある。神社は,八幡神社など。旧山形県を経て明治9年山形県に所属。明治11年の一覧全図では,反別275町6反余,戸数・人口は106・738。明治11年最上郡に属し,同22年豊里村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7264284 |





