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法木村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。はじめ遊佐【ゆざ】郡,寛永4年飽海【あくみ】郡,正徳年間からは田川郡のうち。はじめ上杉氏領,慶長6年最上氏領,元和8年からは庄内藩領。無高地。なお「元禄郷帳」には「ハフキ村」と見える。当村は,平家の落武者が定住したとも,伯耆国(現鳥取県)から移住したとも伝えられる(県史本編6)。寛文6年・享保19年・文化12年には浦村との間で激しい漁場争いが起きている(飛島誌)。寛文2年の書状(飽海郡誌)によれば,年貢としていか19駄,家数45間半・人数85。天和2年の飛島村数并家数・人数(県史17)によれば伯耆村と見え,家数54軒うち寺1軒・人数300,漁船81艘。家数・人数は享保10年47軒・263,寛政4年44軒・291,文久3年45軒・294(飛島誌)。寺院は,寛永年間に創建されたという新義真言宗(智山派)多宝寺。神社は,寛治年間源義家が石清水八幡宮から勧請したと伝える八幡神社がある。鶴岡県を経て明治9年山形県に所属。同11年の一覧全図では,反別5町5反余,戸数47・人口313。明治11年飽海郡に属し,同22年飛島村の大字となる。




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7264686