宮内(中世)

戦国期から見える地名。置賜郡北条荘のうち。初見は明応7年8月1日の年紀を有する熊野神社銅造鰐口銘(県史15下)で,「出羽国長井 熊野山 北条庄宮内」とある。天正13年北条段銭帳(県史15上)によれば,「北条ミや内」の大塚佐渡分2,000苅の段銭として500文,「同(北条之内)ミやの内」の鹿役分200苅の段銭として50文がそれぞれ上納され,同じく「北条宮内こうや」3,000苅の段銭として750文を「あへさま守」なる者が上納している。なお,伊達世臣家譜には応永13年遠藤因幡守盛房が羽州南方奉行人として宮内村に住した旨が記されている。また年未詳6月2日の最上義光感状(武田喜八郎氏所蔵文書/県史15上)には「這回於宮内,無比類働被致之由」と見え,安部内記助の戦功を讃えているが,この宮内を当地とする説と現寒河江市大字宮内とする説とがある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7264939 |





