100辞書・辞典一括検索

JLogos

39

米沢(近世)


 江戸期の城下町名。置賜郡のうち。はじめ蒲生氏領,慶長3年から上杉氏領,同6年からは米沢藩領。慶長3年上杉景勝は会津に転封し,そのうち伊達・信夫・置賜地方の30万石は家老の直江兼続の所領となり,直江氏は米沢城に在城した。当時の在城家臣は多くとも780人余であったが(慶長5年直江山城守長井支配分限帳),同6年の上杉氏の米沢入封により,総家臣団4,218人が城下に集住するようになると,本格的な城下町の拡張・整備が,直江兼続の指揮下,平林正恒を奉行として慶長13~14年に行われた。これまでの二の丸を三の丸に拡大し,町屋は外濠の外へ移転させ,その跡に家臣団を配置した。「奥羽編年史料抄」(県史3)天正15年の条には「米府鹿子」の記事から,六町市場として粡町【あらまち】・東町・柳町・立町【たつまち】・大町・南町(当時大学町)を掲げており,伊達氏の時,米沢は粡町以下6市街あるに過ぎず,上杉氏移封後20余市街となると記されているので,慶長年間の城下町成立期以前から6町あったと考えられる。また,伊達氏が仙台(宮城県)へ移るに際し,これらの町名と同一のものを,仙台城下に名づけたという。米沢城は天守閣を持たぬ平城であり,本丸は,東77間・西81間・南89間・北87間で,藩主の居館や家臣が勤務する藩庁の建物があった。二の丸は東213間・北167間・南180間・西198間で,南西側に城代屋敷・勘定所・青苧【あおそ】蔵・味噌蔵・蝋蔵があり,北側に作事小屋・厩などが置かれた。三の丸は東西577間・東北1,248間で,郭内には上・中級家臣の屋敷が設けられ,東に4か所,西に1か所,南に1か所,北に2か所それぞれ番所が置かれた。米沢の狭い城下にすべての家臣を収容しきれず,三の丸の延長として郭外にも侍町が形成され,直峯町・矢来町・舘山口町・南新町・木場町および舘山諸町などがそれにあてられた。また,福田・笹野・六十在家・南原・山上通町・山上通町裏町などは原方屋敷とよばれ,奉公人の屋敷が置かれた。これらの家臣は原方奉公人(原方衆)とよばれ,河川の氾濫や街道防備の任にあたり,郷士的な半士半農の生活を営んだものである。明和6年の諸奉公人屋敷絵図によれば,南原5町・六十在家・長手新田には猪苗代町48・石垣町90・笹野町75・六十在家162・新町48・長手新田21・横堀町45の計489軒,花沢8町・山上2町には山上通町153・山上裏町109・弓町62・鉄砲町64・上ノ町64・窪町70・片町53・中町101・信濃町127・小国町135・山上橋本町11の計949軒が記されている。享保10年の御城下屋敷数書上帳(県史16)によれば,三の丸内には本町43町・横町小路共に42町,家数892軒があり,東に大手馬出シ・主水町・小姓町・東堀端町・評定所前ノ通・評定所裡ノ町の本町6町および横町8町,家数70軒,南は南堀端片町・南堀端南ノ町・馬場ノ町・主水町西ノ町・谷地小路町・善仲町・元馬口労町・元馬口労町西ノ町・谷地明神東ノ町・林泉寺門前町・元馬口労町南片町の本町11町および横町11町,家数262軒,西には西堀端膳部町・土手ノ内膳部町・片五十騎町・五十騎町・五十騎町西裏町・七ツ蔵町・内舘山口町・法衆寺裡門前町・関東町・関東北ノ町の本町10町および横町12町,家数291軒,北には北堀端片町・屋代町・元籠ノ町・元細工町・番匠町南之町・番匠町・土手ノ内番匠町・清水町表町・清水町・明神堂町・馬場先町・馬場後ノ町・中間町東ノ町・中間町・笹岡町・割出町の本町16町および横町11町,家数269軒がある。三の丸外には,本町50町および横町33町,家数1,877軒があり,東には東御堀端神明片町・福田町の本町2町および横町2町,家数105軒,南には南御堀端片町・黒川町・七軒町・林泉寺町・谷地明神町・谷地明神門前通り・田町の本町7町および横町3町,家数146軒,西には直峯町・与板町・鳳台寺門前町・無足町・舘山口町・矢来町・舘山一坂町・舘山二坂町・舘山屋代町・正蓮寺門前町・舘山片町・代官町・小者町・新ン町一丁目・新ン町二丁目・新ン町三丁目・新ン町四丁目・蔵屋敷前ノ町・廟所前町・他屋町・北新ン町・南新ン町・猪苗代片町・西中間町・西中間町西袋町・番正町・成島町・成島町二町目・成島町三町目・木場町・木場町ノ裏町・玉庭町の本町32町および横町20町,家数1,294軒,北には竜言寺町・徳正寺町・信夫町・同心町・清野下屋敷町・座頭町・北袋町・木挽町・土橋番匠町の本町9町および横町8町,家数332軒がある。この他,三の丸外には原方屋敷22町・家数1,444軒がある。町人町の方をみると,慶長年間の「邑鑑」によれば,石高1,446石余の,家数830軒(うち役家630,検断・小走35,諸職人間脇138),人数6,027であるが,元禄6年の人数は1万2,078人と増加している(宗門改総人数目録)。寛文12年の惣町軒数従町奉行絵図ニ添来目録(県史16)では,町方の中心として,三の丸外濠外に大町・柳町・立町・東町・荒町・南町の6町が,家数699軒余とあり,脇町として,御免町・東寺町・馬口労町・紺屋町・新桶屋町・地番匠町・鍛冶町・御鉄砲屋町・銅屋町・長町・袋町・北町・今町の家数1,428軒余がある。享保10年の町方屋敷数書上帳(県史16)では,町方40町,うち本町17町・横町23町,家数2,406軒とあり,馬口労町・南町・紺屋町・東町・東寺町・免許町・柳町・大町・地番匠町・新桶屋町・立町・鍛冶町・鉄砲屋町・新町・銅屋町・長町・北町が記されている。大町を中心とする6町には,定期市として五斎市が設けられていたが,18世紀半ば以降は常設店舗が増加し,市場は衰退していった。職人町は上杉氏の入封とともに整備されたものが大部分であり,それぞれ6町の周辺に置かれた。城下東北部には鍛冶町・銅屋町・鉄砲屋町・越後番匠町・新桶屋町があり,東部には免許町,東南部には紺屋町などが置かれている。また,城下の東端には東寺町,北端には北寺町があり,林泉寺や鳳台寺などの大寺を城下要所に設けるなど,寺院統制とともに軍事的防衛体制を示している。置賜県を経て明治9年山形県に所属。明治6年置賜県は6大区28小区に分かれたが,米沢はほぼ第1大区小1~5区,第2大区小1~5区および第3大区,第4大区の一部に含まれた。同9年には第10大区に属し,大区務所が門東町上ノ町に置かれた。同11年南置賜郡・東置賜郡に所属。戸長役場は舘山口町・越後番匠町・花沢村・東町・竜言寺町・大町の6町村に置かれた。明治22年米沢市となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7265305