木地小屋村(近世)

江戸期~明治8年の村名会津地方東部,酸川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち古くは更級荘に属したという会津藩領川東組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録では猪苗代郡に属し33石余,享保3年326石余(小林家文書),文化15年の村日記(県史10下)では332石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに329石余村名の由来は「元亀2年檜原村より備後縫殿助と云木地挽三人来て其業をなす後田圃をひらき一村となれり」(新編会津)との木地屋によるらしい福島街道の宿駅で,上りは猪苗代城下・酸川野村,下りは湯本村に継送る享保3年の家数49軒・人数210,馬21,文化3年の家数28軒・人数114,馬14(小林家文書)化政期の家数27軒(新編会津)慶応4年の産物は蕨漬(猪苗代郷土誌稿),「新編会津」でも「此辺の諸山より産す,気味殊に勝れたり,塩漬とし毎年江戸へ献ず」とある肝煎は古くは二瓶家,のち佐藤家鎮守は山神社堂宇に姥婆堂もある明治元年10月村役人排斥の一揆で,休役となった旧肝煎は,12月に帰役願を民政役所へ提出した(小林家文書)明治8年酸川野村・大原新田村と合併して若宮村となる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7267138 |