雫村(近世)

江戸期~明治22年の村名。行方【なめかた】郡のうち。相馬中村藩領。中郷に属す。寛文4年北原村を分村。村高は,明暦2年197石余(相馬藩政史),正徳元年の郷村高辻帳(県史9)では152石余,「天保郷帳」264石余,「旧高旧領」333石余。古来当時軒別増減による家数は,宝永年間45軒・天明3年32軒・嘉永元年14軒(県史9)。文久元年の家数21軒(うち給人郷士2・新家11)・人数126,馬20(奥相志/相馬市史4)。安政4年二宮仕法が実施された。「奥相志」には「沙洲に塩場ありて塩を採る」とある。寺社は,真言宗宝珠院・牛頭天王社・通神社。磐前【いわさき】県を経て明治9年福島県に所属。戸数・人口は,明治13年40・320(県統計書),同20年40・352。明治12年行方郡に属し,同22年大甕【おおみか】村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7267855 |





