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つゝミのをか(中世)


 戦国期から見える地名。信夫【しのぶ】荘のうち。天文段銭古帳(伊達家文書/県史7)に「御はんの所」のうちとして「一,七〆仁百七十五文 つゝミのをか」とあり,当地の段銭高が7貫275文であったことがわかる。なお延享3年の御巡見使御案内によれば,八丁目鼓岡館は清野備前の子息遠江守の居館であったが,伊達輝宗に反攻したため切腹,のち堀越能登の居館となったがこれも二本松畠山氏にくみしたため伊達安房に攻められ落城,その後は伊達安房の居館となったという。堀越能登居館のことは「正統世次考」に見え,伊達実元の八丁目攻めは天正日記に見えている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7268812