小幡村(近世)

江戸期~明治22年の村名。常陸国茨城郡のうち。はじめ佐竹氏領,宍戸藩領を経て正保3年からは水戸藩領。村高は,「元禄郷帳」586石余,「天保郷帳」918石余,「旧高簿」750石余。「水府志料」によれば,紅葉組に属し,戸数80,村の規模は東西35町余・南北37町余,松林が多く良材を産し,自生の薯蕷【やまのいも】がある。水戸街道が通り宿駅が置かれた。宿の北8町にある千貫桜は,30年前風のため樹木は折れてそのひこばえがあり,春の花の美しさは千貫にもかえがたいということから名付けられたものと思われ,当地方の名花であったという(水府志料)。元禄年間以後に開かれたと思われる端葉美新田(のち橋場美新田)・先後【まずのち】新田を天保年間までに分村(新編常陸)。寺社は天台宗法円寺・愛宕社(同前)。明治4年茨城県,同11年東茨城郡に所属。明治22年上野合村の大字となる。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7272496 |





