100辞書・辞典一括検索

JLogos

32

田中村(近世)


 江戸期~明治11年の村名。常陸国新治郡のうち。はじめ結城氏領,慶長8年土浦藩領,元和2年笠間藩領,同8年大名堀氏領,享保14年からは旗本堀2氏の相給。村高は,元和6年検地では1,254石余(田82町余・畑60町余で屋敷持99人),「元禄郷帳」1,075石余,「天保郷帳」1,093石余,「旧高簿」1,256石余。享保14年旗本堀氏は分家を出し,本家領500石は下田中,分家領700石は上田中と称された。鎮守の日枝神社の祭礼には流鏑馬が行われ,定期市・馬市が立った。時宗法伝寺・天台宗善勝寺・真言宗円蔵院・同西福寺があった。文政11年上田中の戸数71(うち農間商い13)・人口283,安政5年下田中の戸数58・人口295。用水は作谷村の大池と桜川から引いた。年貢米は鬼怒【きぬ】川の宗道河岸まで駄送りした。文化年間までは旗本堀氏の陣屋が下田中にあった。明治8年茨城県,同11年新治郡に所属。明治10年下田中の法伝寺に田中小学校を創設。当村は地租改正の模範村となる。明治11年西田中村と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7274935